室長ブログ
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「さあ、一歩を踏み出そう!」
八月に行われた出会いのキャンプは、みなさんにとってどんな意味があったでしょう。関わった方の中にはすでに過去のものとなり、日常に流されて忘れそうになっている方もあるかもしれません。
多くの人は、良い環境、良い仕事、良い助けが与えられたら幸せになれると考えますが、神はわたしたちに、神を信頼し自らを献げることこそ祝福の土台であることを繰り返し教えています。それはすなわち、主がわたしたちと共にいてくださることを信じることであり、神がわたしたちの思いをはるかに越えて恵みと祝福を持って導かれることを体験することでもあるのです。
あなたは「あなたと共にいる私を認めなさい!」と励まし続けて下さる主の声を聞いたでしょうか。「あなたの手にあるものをわたしに委ねなさい!」と語られる主の声を無視してこなかったでしょうか。反対に自分自身を見てがっかりし、信仰の一歩を踏み出すのをあきらめてしまってはいなかったでしょうか。
主の一人一人に対するチャレンジはまだ続いています。自分を見てあきらめてはいけません。若い方も年配の方も、健康な人も、病に倒れている方にも、主は生きている限りと愛と慰め、そして励ましをもって「わたしはあなたを決して離れずあなたを捨てない!」そして「あなたはわたしに従ってきなさい!」と熱く声をかけ続けてくださっているからです。
「今あなたは熱く燃えているだろうか?」
今、あなたは何が出来るでしょう?
*今、あなたは何が出来るでしょう?*
あなたが信じられなくても、神はあなたを新しくし、神の恵みの器として輝かせる事ができます。
あなたはいつまで、人の言葉や自分の思いによって生き方を決めていくのでしょう…。
今、主だけを見上げてみようではありませんか。
*あなたは一人じゃない!*
あなたと共におられるのは、
あなたの罪を赦すために喜んで十字架の道を選んでくださった方、
何があっても絶望する事がないように、
死に打ち勝ってよみがえって下さった方、
わたしたちと共に働いて、
今も生きておられることを確信させてくださる方です。
何かをするために、まず、
今持っている重荷と思い煩いを、
すぐそばにいてくださる主にすべてゆだねてしまいましょう。
次に、
神を信頼しているあなたこそが、
神に喜ばれる存在である事を喜び、
感謝の祈りをささげましょう。
主なる神はあなたのために、
いろいろなチャンスを用意してくださっています。
信じて立ち上がり、小さな一歩を踏み出す事により、
あなたのために用意されている奇跡を、体験しようではありませんか。
今、あなたは何をしていますか?
学生であったり、仕事をしていたり、療養していたり・・・、
就職を考え、結婚を考え、将来を考え・・・。
しなければならない課題を抱え、友人をどう誘おうかと頭を悩ませ、時に趣味に没頭し・・・、
携帯やとテレビから離れられず、ボーっと過ごしていたり・・・。
でも、あなたが何をしていようと、あなたの価値が変わることはありません。
言い方を変えると、あなたがどんなに稼いでいても、特別な知識や技術を持っていたとしても、
ごろごろしていたり、悶々と過ごしていても、
神の目から見たら、あなたが大切な存在である事には違いないのです。
でも、わたしたちは自分が何が出来るかを気にし、人と比べてしまいます。
家族はあなたに何を期待しているでしょう?
友人はあなたに何を期待しているでしょう?
学校や会社はあなたに何を期待しているでしょう?
あなたは、どうでしょう?
この世の人々のわたしたちに対する期待を知り、それに応えることがわたしたちの生きる道ではありません。
むしろ、神によって命が与えられ、今というこの瞬間を生きているわたしたちが
神に愛され生かされていることを知り、共にいてくださる主を喜ぶことが、
わたしたちを造り愛してくださっている神の熱い思いなのです。
わたしたちはこの世の基準で考え、自分を評価しようとします、
けれども神は、神により頼むわたしたちと共に働いて、すべてを恵みに変えて下さることができるのです。
あなたはそれを知っているはずです。
あなたには出来なくても、神にはそれができることを・・・。
宣教大会のためにできること
主にある交わりの一番必要な若者、学生たちにはお金がありません!その親たちも大変です。
だれがそれを支えることが出来るのでしょう。自分のために生きる人生も悪くはありませんが。青年を通して神のためにささげることはできないでしょうか。ただし主に期待する喜びを持ってでなければ意味がありません。
宣教大会の会場は限られています。祈りと知恵といろいろな助けが必要です。ここに信仰を働かせるチャンスがあります。またインターネットで中継が出来ればと考えています。各地区や教会で興味のある方は協力ください。
サバイバル集会になるのではといわれる方もおられます。心配な方は祈ってください。多分大丈夫です。
シオンの丘は3千坪といわれますが山地となっており、そこにかわいいチャペルと小さな宿泊できる建物があります。40名くらいはゆったりと止まれると思いますが、震災時を思い起こし頑張れば150名も夢ではないでしょう。チャペルは100名以上入ったことはありますが、冷房はありませんもちろん外なら広いです。近くの河川敷ならもちろん三千人でも五千人でもいけるでしょう。
出来れば若者を中心に百名くらいが手ごろかもしれません。平行して近くの教会で別プログラムも出来ます。主の導きと備えに期待をして祈り待ち望みたいと思います。
気になる方は近くにホテルなどもあります。心配な方は自分で用意ください。
送迎の奉仕をして下さる方は、祈り細心の注意を持ってお願いします。
差し入れは歓迎しますが、特に熱い祈りをお願いします。
宣教大会の期間だけでなく、前後も会場のシオンの丘を用いることが出来ます。大会前はいろいろな準備、大会後はキャンプやボランティアなども企画できます。もちろん草刈りもあります。
あなたにとって宣教大会とは?
今回の宣教大会は、集会が目的ではありません。むしろ一人ひとりが神に期待して信仰の一歩を踏み出すことに意味と目的を置いています。
対象者は十代、二十代の方々を中心に考えています。もちろん、それ以外の方々も大丈夫です。ただし、信仰は自分だけのものではなく人を励まし生かすことにも働かせることが出来ます。これからの時代を担って青年たちが、キリストにあって変えられ信仰を土台として輝いて生きていくために、年配の方は特に祈りをもって、また具体的サポートをよろしくお願いします。
たとえば…
九十歳、百歳を超える方は特に覚えてお祈りください、
七十歳八十歳の方は、祈りと共に神が真実な方であることを証しして若者を励ましてください。
また信仰を持って十代、二十代の青年に声をかけ送り出してください。
六十代の方は新しい出発のときです。主の語られることばによって四十、五十の方を励ます信仰を見せてください。
四十、五十代の方は主を見上げて踏ん張って、三十代、二十代の青年を励まし支え主のために用いてください。
三十代、二十代の方々は、十代の若者たちに主に従うことの素晴らしさを、自らの姿を持って証ししようではありませんか。
教団は…教団はわたしたち一人ひとりです。組織や建物のためだけでなく、人にもっと祈りと具体的投資をしなければならないときではないでしょうか。
牧師は……あまりにも惨めな状況です。教会の日々の雑務から牧会、メッセージの御用だけでなく、今まで蓄積された課題など、多忙とストレスにさらされています。しかしわたしたちの主は生きておられます。生涯を主にささげて立ち上がったことを思い出そうではありませんか。人間的考えでいろいろなものを背負い過ぎないように、共に働いてくださっている主に委ねきる信仰に立ち返らせていただきましょう。たとえ数人の群れであっても、アブラハムがイサクをささげたように、手放したくない教会の担い手や若者を、自分の思いではなく神の手にお任せするときではないでしょうか。
十代の方々へ
あなたの人生は可能性に満ちています。しようと思えば何にでもチャレンジすることができます。
しかし人には限界があります。限られた時、限られた命を生きているからです。しかしあなたを創られた神は、あなたのすべてを知った上であなたを受け入れ、イエス・キリストを十字架につけてまで、あなたを生きるようにしてくださいました。あなたが経験する事はどんな失敗や弱さにも、意味があります。人にどのように言われてもです。たとい罪にがんじがらめになっていたとしても、だからこそ十字架があるのです。神はあなたを愛し、今もあなたと共にいてくださいます。
あなたは何をしたいのでしょう…。神に祈ってみましょう。
また、誰かにいっしょに祈ってもらいましょう。
神がその祈りに応えてくださるかどうかがわかるじゃないですか。
たといどんなところにいたとしても、神はあなたが心を開く時自由と喜びを与え、新しい一歩を踏み出す力を与えて下さるはずです。それがあなたにとっての宣教大会なのです。
あなたは自分の人生を自分で決めつけていませんか?
わたしたちの人生はもちろんわたしたち自身のものです。
しかし同時に、生まれた環境や時代、関わった人々の生きかたに影響を受けている事を考えれば、
わたしたちの人生は、わたしたちだけのものではないのかもしれません。
わたしたちが一番影響を受けているであろう家族や、学校で出会う教師たちは、
自分持っている経験と知識によってわたしたちに歩むべき方向を示してくれます。
しかし時には、わたしたちのまだ成熟していない姿を見て、あるいは自分たちの強い思いによって、わたしたちの将来を小さく決め付けてしまわれることもあります。
聖書はわたしたちに神に愛されている事を明確に語っていますが、
それだけではなく、
わたしたちがイエス・キリストの十字架の事実によって神を認め、神と共に生きるようになる時、
イエス・キリストによって新しくされることを教えています。
わたしたちは自分の経験と学びとによって成長する事ができるだけでなく、
神と共に生きる人生を選び取ったときに新しくされ、変わることが出来るのです。
わたしたちが弱くても、共にいてくださる神は強いです。
わたしたちが知らなくても、いっしょにいてくださる方はすべてを知っていてくださいます。
もし失敗してしまっても、主はそれを新しい歩みのためのチャンスにしてくださいます。
たといわたしたちが病やいろいろのハンディを背負っていたとしても、
神はそれに勝る助けと知恵をあたえることができますし、
そのすべてをおおい尽くす、平安と喜びによって輝かせてくださることができるのです。
あなたの人生はだれのものですか?
もちろんあなたのものです!
しかしあなたを愛してこの世に命を与えてくださった神は、
あなたを知識や経験、人々の良い考えによってではなく、
神の愛と、約束を信じる信仰によって新しくしてくださり、
どんな状況の中にあっても神が共にいてくださることを信じる信仰によって、
輝きに満ちた生涯を与えて下さるのです。
新年を迎えて
新しい年を迎え、何を感じているだろう?
人を傷つけず、身近な人々に悲しみを与えない毎日。
人に頼らず、自分でやり遂げる生き方。
病の中にあっても弱音を吐かず、どんな時にも前進する姿勢。
しっかり仕事をし、趣味を楽しむ人生。
健康や事故に気をつけ、神と人のために自分をささげる信仰・・・・。
でも・・、
共にいてくださる方は、
あなたを離れず、あなたを捨てないと約束し、
どんな中にあっても、安心を与えて下さる。
だから、かけがえのない一瞬一瞬、たった一度の生涯を、
チームでいこう!
最初は主と二人で、
でも、自分の弱さを主に打ち明けると、
主は仲間を見つけてきてくれる。
それぞれが自分の分を果たすだけで、
主の御業のチームの一員になることができる。
そのチームの目的は、主を喜ぶこと!
もちろん
傷ついたり傷つけたり、病に倒れる事も、失敗もある、
でもチームは、嬉しい時も悲しい時も共にいて、
それぞれの弱さを恵みに、
喜びを力に変えくれる。
さあ、限りある時だから、失敗を恐れず、
ちょっぴり勇気を出して、
これからは主のチームで行こう!
(登録は、あなたの内にいる方で大丈夫!)